論文要約:猫は声だけより視覚的な合図で近づく?
Mouzon et al. (2023). Animals, 13(9), 1528

論文の概要
de Mouzon & Leboucher(2023)は、フランスの2つの猫カフェで暮らす猫を対象に、見知らぬ人が使うコミュニケーションの種類によって反応が変わるかを調べました。
比較したのは、①働きかけなし、②声だけ、③視覚的な合図だけ、④声と視覚的な合図の両方という4条件です。視覚条件は「視線だけ」ではなく、実験者が手を差し出し、猫と床へ交互に視線を向け、ゆっくり瞬きをする一連の合図です。複合条件では、その視覚的な合図に名前呼びと呼びかけ音を加えました。
解析対象12頭では、視覚条件と複合条件の方が、声だけ・働きかけなしより実験者へ速く近づきました。しっぽを左右へ振る行動は働きかけなしで多く、複合条件で少ない結果でした。ただし、しっぽ振りの値は生の観察秒数ではなく、観察時間の違いをそろえるため最大75秒へ換算した調整済み時間です。
この論文は、猫が「声より視線を信じる」と証明した研究ではありません。猫カフェで見知らぬ人との接触に慣れた少数の猫について、視覚的な合図を含む働きかけと、声だけで視線も手も使わない働きかけを比べた予備的研究です。飼い主との関係、家庭猫全般、猫同士の対面へそのまま一般化しない資料として位置づけます。
研究デザイン
対象候補は、ボルドーとトゥールーズの猫カフェに3年以上暮らす成猫18頭(メス8頭・オス10頭、3〜9歳)でした。全頭が避妊・去勢済みで、見知らぬ人との関わりに慣れていました。馴化・試験中に強いストレス関連行動が多かった猫と、全試行を通して実験者へ一度も近づかなかった猫を除き、最終解析は12頭(メス6頭・オス6頭、3〜7歳)です。
猫は飼い主と部屋へ入り、約10秒保定された後に放されました。実験者は約3.5m先に座り、4条件を各猫がランダム化・釣り合い化された順で経験しました。
- 働きかけなし(対照): 猫を見ず、声を出さず、手も差し出さない
- 視覚条件: 手を差し出し、猫と床へ交互に視線を向け、ゆっくり瞬きをする
- 声条件: 名前と呼びかけ音を発するが、手を出さず、猫を見ないよう上を向く
- 複合条件: 視覚条件の合図と声条件の呼びかけを同時に行う
主要指標は、猫が実験者の10cm以内へ近づくまでの接近潜時で、上限は75秒でした。解析対象の猫がある条件で75秒以内に近づかなかった、または退出意思を示した場合、その試行の潜時は75秒としました。一方、「全試行で一度も近づかなかった猫を解析対象から除外した」という参加猫レベルの基準とは別です。
12頭×4条件の48動画から11行動を記録しました。接近が速い猫ほど観察時間が短くなるため、各行動は (行動時間 ÷ 観察時間) × 75 で75秒換算しています。同じ猫の4条件をFriedman検定で比べ、有意な場合はFriedman–Conoverの事後比較を行い、複数比較はBonferroni法で補正しました。
主な発見
1. 視覚的な合図を含む2条件では接近が速かった
平均接近潜時は、視覚条件29±6.9秒、複合条件32±7.0秒、声条件51.8±7.3秒、対照57.5±7.6秒でした。4条件全体の差は有意でした(Friedman χ²(3,11)=10.77、p=0.013。p値は、観察された差が偶然だけでも生じうる度合いを検討する統計指標です)。
事後比較では、視覚条件は対照(p=0.029)と声条件(p=0.045)より速く、複合条件も対照・声条件より速い結果でした(いずれもp=0.001)。視覚条件と複合条件、声条件と対照を直接比べた有意差は報告されていないため、「声と対照は同じ」「視覚だけが複合より優れる」とは言えません。
全試行のうち少なくとも1回は実験者へ近づいた解析対象12頭について、条件別の接近頭数は対照6頭、声7頭、視覚10頭、複合9頭でした。
2. しっぽ振りの75秒換算値に差があった
しっぽを左右へゆっくり動かす行動だけが条件の影響を受けました(χ²(3,11)=8.812、p=0.032)。以下は実測した生の秒数ではなく、観察時間を75秒へそろえた調整済み時間です。
- 対照13.98±5.21秒は、視覚8.6±5.03秒(p=0.042)、複合0.39±0.28秒(p<0.001)より多い
- 声11.61±5.51秒は、複合より多い(p=0.002)
著者らは、横方向のしっぽ振りがフラストレーション場面で生じうるという先行研究から、見知らぬ人が何も働きかけない状況は猫にとって不快だった可能性を考察しました。これは本研究が感情を直接測って証明した結論ではありません。
3. その他10行動と2施設間には有意差がなかった
しっぽ振り以外の10行動には、4条件間の有意差がありませんでした。対象が12頭と少なく、差を検出しきれなかった可能性は残ります。ボルドーとトゥールーズの間でも、接近潜時(U=8、p=0.2)としっぽ振り(U=14.5、p=0.79)に有意差はありませんでした。
この研究で断定できないこと
- 12頭のパイロット研究であり、家庭猫や人見知りの猫全般へ一般化できない。
- 実験者は飼い主ではなく、猫は見知らぬ人との接触に慣れた猫カフェの猫だった。
- 視覚条件は手、交互の視線、ゆっくり瞬きをまとめた条件なので、どの要素が効いたかは分からない。
- 声そのものが悪い、声より先に視線を送るべき、猫が声を信用していない、とは言えない。
- 声条件の「呼ぶが猫を見ない」という合図が不一致だった可能性は著者の仮説で、直接検証されていない。
- しっぽ振りだけから不快・欲求不満を診断できない。
- 猫同士の紹介方法や新入り猫の導入を調べた研究ではない。
- 資金はフランス高等教育研究省とペット用品会社MARTIN SELLIERのCIFRE制度から提供され、著者らは利益相反なしと申告している。
数字で見るポイント
- 18頭→12頭: 候補から除外基準を経た最終解析数
- 2施設・4条件・48動画: 12頭が全4条件を経験
- 3.5m/10cm/75秒: 開始距離、接近判定距離、試験上限
- 29/32/51.8/57.5秒: 視覚、複合、声、対照の平均接近潜時
- 6/7/10/9頭: 対照、声、視覚、複合で接近した猫の数
- 11行動: うち条件差が有意だったのはしっぽ振りだけ
- ×75: 行動時間は観察時間で割り、75秒へ換算した調整値
暮らしへのヒント
来客など見知らぬ人と猫が接する場面では、声だけを繰り返しながら猫を見ないより、猫から見える位置で穏やかな合図をそろえることが一つの参考になります。実験の視覚条件は、手を差し出す、猫と床へ交互に視線を向ける、ゆっくり瞬きをする、という組み合わせでした。複合条件も接近が速かったため、声を避ける必要はありません。
家庭で実験手順を再現する必要はありません。凝視や無理な接近を避け、猫が近づく・離れる選択を守り、反応がなければ距離を保ちます。しっぽの動きは耳、体の硬さ、退路、前後の行動と合わせて見ます。
よくある質問
Q. 猫は声より視線を信じると分かったのですか?
いいえ。視覚条件は視線だけではなく、手の差し出し、交互の視線、ゆっくり瞬きを含みます。「信頼」を測った研究でもありません。見知らぬ実験者への接近潜時を比べた研究です。
Q. 声をかけない方がよいのですか?
いいえ。視覚的な合図に声を加えた複合条件でも接近は速く、声そのものが悪いとは言えません。声だけ条件では実験者が意図的に猫を見なかった点にも注意が必要です。
Q. 近づかなかった猫は結果から外されたのですか?
全試行で一度も実験者へ近づかなかった猫は最終解析から除外されました。一方、解析対象12頭が特定の条件で近づかなかった試行は、接近潜時75秒として解析されました。
Q. しっぽを振った秒数は実際に測った時間ですか?
元の動画から行動時間を測りましたが、掲載された13.98秒などは観察時間の違いを補うため75秒へ換算した調整済み時間です。しっぽ振りだけで猫の感情は断定できません。
猫は声だけより視覚的な合図で近づく?——コミュニケーション実験を読む
猫カフェの猫12頭を対象に、見知らぬ人からの声だけ・視覚的な合図・両方・働きかけなしへの反応を調べたパイロット研究を全5回で読みます。